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田中隆三 (政治家)[たなか りゅうぞう]
田中 隆三(たなか りゅうぞう、1864年11月14日(元治元年10月15日) - 1940年(昭和15年)12月6日)は、明治から昭和初期の農商務官僚・政治家である。 == 経歴 == 出羽国楢山(のち秋田県秋田市)出身。秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)、大学予備門、帝国大学(現東京大学)法科卒業。農商務省鉱山局長・農商務次官を経て、その後実業界に入り秋田鉱山専門学校(現秋田大学工学資源学部)の設立に尽力した。ついで政界に転じ、1912年(明治45年)の第11回衆議院議員総選挙で当選した。濱口内閣・第2次若槻内閣で文部大臣を務め、議員を7期務めて1932年(昭和7年)に引退した。所属政党は当初政友会であったが、のちに民政党に移った。 引退後は終生枢密顧問官を務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中隆三 (政治家)」の詳細全文を読む
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